年祭へ向けて心定めの実践を(立教186年11月月次祭祭典講話(要旨))

まず貧に落ちきる

私共は3年前に現在地に移転いたしました。ところが出費は増える一方、収入が減少。にわかに会計が逼迫してまいりました。毎月、今月はどうなるだろうと頭を悩ませまる日々となりました。

そんな中、昨年の秋季大祭で、真柱様から諭達をご発布頂きました。諭達で『教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ』とあります。  このお言葉を聴いて、移転をしてから厳しい会計状態の日々が続くのは、ひながたを通らせていただくためかもしれない、と悟りが心に浮かびました。

それまでは、先案じと焦りが正直な気持ちでしたが、ひながたの道を歩ませて頂いている、有難いことだ、と次第に思いが開けました。

稿本天理教教祖伝には、教祖が貧に落ちきられる道すがら、「物を施して執着を去れば、心に明るさが生まれ、自ずから陽気ぐらしへの道が開ける」と記されています。

物に執着が出てくると、心が重くなる一方です。それが、握っていた物を放し、執着を去れば確かに心に明るさが生まれてきます。『どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。』とお教えいただく通りです。

以来、苦しい会計も親神様がお連れ通り下さっていると思案し、有り難いの心で通らせて頂いています。

困難は様々にお見せいただくかもしれません。親神様におもたれして、心明るく通らせていただきたいと思います。

かしものかりもの

諭達にはひながたの道について、次のように続きます。

『あるときは、「水を飲めば水の味がする」と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ』とかしものかりものの御守護についてお示しいただきます。

わたしは憩の家病院の事情部で勤務し、様々な病気の方におさづけを取り次がせていただきます。

ある方は消化器の癌が進行して、もう食事が採れないと言われるのです。そんな方を目前にして、自分が今食事の出来ることを喜ばずに、何を喜べるのだと、思わずにおれません。

ALSという筋萎縮性側索硬化症、筋肉が徐々に痩せて力が入らなくなる病気の五十歳代の患者さんがおられます。ベッドの上で全く動くことが出来ずに横になっておられるのです。そんな方におさづけを取り次いでいると、健康が当たり前と思っていると罰があたると思います。かしものかりもののご恩をいつも心して通りたいと思います。

ふしから芽が出る

ひながたの道について諭達は更に続きます。

『「ふしから芽が出る」と、成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいである』と教えられます。

これは大教会創立百三十周年三年千日活動方針で「親の思いを心に治める成人の旬」であると、大教会長様が繰り返しお話し下された、まさにそのことであります。成ってくる姿に、私達をたすけたいという親神様の思いを思案し、共々に成人させて頂こうということであります。

事情部で未信者の患者さんによくお話するのですが、「病気になるのには、必ず意味がありますよ。天理教では病気は陽気暮らし、幸せへの道しるべであるとお教え頂きます。そしてふしから芽が出るとも教えられます。この病気というふしから、今までの自分を一度立ち止まって振り返り、変えるべき所は変え、改めるべき所は改めて、新たに歩ませていただけば、新しい人生の芽を出させていただけます。」と申し上げます。すると、ホーと、初めて聞く話に少し驚きの表情をされる方もおられます。未信者の方にも分かって頂けるお話だと思います。成ってくる姿に親の思いを思案し、共に成人をさせて頂きたいと思います。

さてその次に『「人救たら我が身救かる」とひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていく』とお教え頂きます。

振り返れば今までに色々な方のおたすけをさせていただき、喜びの姿もお見せ頂きました。おたすけに本気で真剣になって取り組み、もう自分の事はどうでもいい、助かって貰いたいと思うようになったら、勇み心が出てきて、有り難いの心が滲み出てきます。

以上、諭達でお示しいただくひながたの道について、思うところを申し上げました。

心定めに励む

今は年祭活動のさ中であります。私達が勇んで年祭活動に励むことを、なにより教祖がお喜び下さると思います。

三年千日の始まりに当たり、勇んで年祭活動に取り組めるよう、各自が心定めする事をおぢばより打ち出し頂きました。皆さん方も、それぞれ心定めを実践中のことと思います。

 今から十年前、教祖百三十年祭三年千日活動にあたり、私は三千回のおさづけのお取り次ぎを心定めしました。

 ところが一年目に、以前痛めた膝がまた痛み出し、なかなかスイッチが入らないまま二年目を迎え、五月。突然、心筋梗塞の身上をお見せ頂きました。これは、心定めに本気で取り組むようにという、神様のお急き込みであると確信し、遅ればせながらそれから心定めに懸命に取り組み、年祭直前になんとか達成することができました。

また年祭の今一つの懸案が教会移転でした。

おぢばの周辺で(近すぎてもお許しがでない)、駅に近くで、そこそこの家の大きさと土地の広さがあり、しかも建      物がおぢばを向いている。 そのような物件を捜しましたが条件に合う所は有りません。神様の御守護をいただくしかない。そのためにしっかりと理立てをさせていただこうと思いました。

年祭の理と、おさづけに励ませていただいたお陰と思いますが、大幸としては大きな理立てを運ばせて頂く事が出来ました。

お陰で三年前、現在の土地建物をお与え頂きました。この物件はおぢばから六キロ程の距離で、なんとか十六人手を揃えておつとめが出来、土地もそこそこの広さがあり、おまけに畑もついています。駅まで徒歩5分、しかも建物がおぢばに正対するという願い通りのものでした。教祖百三十年祭の理と、妻の強い思いで、御守護を頂戴出来たと思っています。

さて、この度の年祭では、今年の二月からおさづけのお取り次ぎ、にをいがけ、神名流しを、回数を決めて心定めをし、現在励ませて頂いています。

神名流しやにをいがけをしていると、教祖のお伴をしているという気持ちから、段々と心が勇んできます。本当に有り難く思います。

心定めはしたけれどまだ動けていないという方が、おられるかもしれません。今からでも遅くありません。動き出しましょう。 これから後二年と二ヶ月、教祖にお喜び頂けるよう、共にひながたの道を、心を定めて、勇んで務め励ませていただきましょう。

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