ひながたの道を一手一つにしっかりと通り、教祖の親心にお応えしよう(立教186年秋季大祭祭典講話(要旨))

昨年10月に諭達第四号をご発布いただき、本年より教祖140年祭に向けての年祭活動に入りました。本部巡教、全教会一斉巡教がなされ、これから5回にわたるようぼく一斉活動日が実施されます。

真柱様は諭達の結びに「この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい」と記され、年頭あいさつでは「年祭に向かって進むときは、全教が一手一つにならなければならないときであります。一手一つの芯となるもの、何に一手一つになるかといえば、それは教祖の親心であり思召であります」と仰せくださり、また、第105回婦人会総会では「一手一つの和は、親神様の思召を心から信じ、私達一人ひとりが、めいめいのつとめを懸命につとめることによって現れてくる親神様のご守護である、と考えるのであります。」とお話しくださいました。

年祭活動は本部の打ち出しだから、また大教会に言われたからと言ってするのではありません。私たち道の子一人ひとりが教祖の親心を芯に、心から求めてさせていただくのであります。定めた目標に向かってしっかりと足取りを進めさせていただき、そこから生まれる一手一つの姿を親神様教祖にご覧いただけるよう、更に勇んで年祭活動に励ませていただきたいと存じます。

【ひながたの道を通らねばひながた要らん】

 「諭達第四号」に引用されたおさしづは、明治22年11月7日午後10時40分 刻限御話の一部でありますが、このおさしづは、3年後に迎える教祖五年祭を目標に、教祖のひながたの道を真にひながたとして三年千日を精一杯に通るように教えられたものであり、年祭活動の元となっているものと思うのであります。

 そこで、その中にこもる親心を確認し、心に治めさせていただき、これからの年祭活動に更に励ませていただきたいと思います。

「難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。あちらへ廻り、日々の処、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。これ分からんような事ではどうもならん。ひながたの道通れんような事ではどうもならん。(中略)ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。」

道を歩むについて、難しいことや手本にも無いようなことをしろと言うているのではなく、一つ一つについて教祖の行いを通して教えておいたひながたの道がある。そのひながたの道を通れないということではどうもならない。30日向こうの事を願えば、50日向こうの守護をしているように、あちこちと先回りをして守護している親心が分からないようではどうもならない。たすけ一条のために示したひながたの道を通らないならばひながたの道は必要なくなる。ひながたをしまい込んでしまうようなら、神の思いを無にしてしまう、と仰せくだされています。

 私たちようぼくの第一のつとめはをやの教え、ひながたを素直に実行するところにあります。そしておさしづに、

「わしがにをい掛けた、これは俺が弘めたのや、と言う。これも一つの理なれど、待って居るから一つの理も伝わる。(明治25・6・4)」また、「どんな所にをい掛かるも神が働くから掛かる。(中略)何処其処へにをい掛かりたというは皆神の守護(明治26・7・12)」とありますように、をやの思いを素直に受けて、ひながたを辿るからこそ、をやが先回りをしてお働きくだされ、教えが広まるのであります。

 陽気ぐらしをさせてやりたいとお残しくだされた手本ひながたであり、私たちが陽気ぐらしのできる唯一の道でありますから、通らなければならないという受け身ではなく、通らせてもらいたいとの思いをしっかりと心において、自ら求めて通らせていただきたいと思います。

【十年の中の三つや】

「十年あとの道は、どんな事を説いても、いか程説いても、そんな事は無い、何を言うやらと言うて居たのや。国々の者やない。そこからそこの者でも分からなんだ。なれど十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて来た。なれど千年も二千年も通りたのやない。僅か五十年。五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。」

 立教から十年ほどは教祖が何を説いても、どんなことを聞かせても、遠くの人ばかりか近くにいる人々も皆信じようとしなかった。それからの10年、20年も言葉に表現できず、筆にも書き尽くせないような容易ならぬ道を通ってきた。しかし千年も二千年も通ったのではない、わずか50年である。その道すがらを50年、30年、20年、10年も通れとは言わない、10年の中の3つ、3年間の道を通れと言うているのである。その3年は50年のひながたの道から見れば、3日くらいのものであり、そのわずか千日の道を最後まで通りきればよいのである。とお教えくだされています。

 教祖のひながたは、誰も相手にする者のない中を50年の半分近くを通られ、教えが広まり教祖を慕う人が出てきてからも迫害干渉を受ける中、一れつの子供をたすけたい一条の親心から陽気に勇んでお通りくだされ、私たちが陽気ぐらしに向けて通るべき道をお示しくださいました。

 本来、ひながたは年祭のみならず、常の事として通らせていただかなければならないのですが、とかく弛み易く、元を忘れがちな私たちを思う深い親心から、ひながたを通る目安として、三年千日という期間を示してくださっています。この期間は、子供かわいいゆえにお通りくださったひながたにこもる親心を味わいながら、心明るく通らせていただく事が大切であります。

【最後まで通りきる】

「十のものなら八つという。後二分の処放って了うは八分という。難しい。」

 十のものなら八つまで通って後二分のところで放ってしまえば充分の理にならず、これまで通ってきた八分の道も意味がなくなってしまう。ここが難しい、とも仰せられています。

なにゝてもやまいいたみハさらになし 神のせきこみてびきなるそや(二号7)

せかいぢうとこがあしきやいたみしよ 神のみちをせてびきしらすに(二号22)

と、身上や事情にしるしを見せられるにおいても、神の急き込み、手引き、みちをせ(道教え)などの言葉を用い、人々に、その心の向きを変えてやりたいという親心の現われであると教えられますが、私たちは自らに身上事情を見せられる時、あるいはおたすけに掛からせていただいている時、思うような成果がないと、頭では分かっていても気持ちの上でなかなか勇めず、また続かず、時には不足さえしてしまうのであります。

逸話篇171に「宝の山」と言うお話があります。

『教祖のお話に、「大きな河に、橋杭のない橋がある。その橋を渡って行けば、宝の山に上ぼって、結構なものを頂くことが出来る。けれども、途中まで行くと橋杭がないから揺れる。そのために、中途からかえるから、宝を頂けぬ。けれども、そこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと、宝の山がある。山の頂上に上ぼれば、結構なものを頂けるが、途中でけわしい所があると、そこからかえるから、宝が頂けないのやで。」と、お聞かせ下された。』

 また、別席のお話に、

『天の理というものは、年限の中から出来てくるのが天の理という。天の道筋通るから前生この世のほこりがぬけて、病の根は切れ、身も自然に達者になって長く楽しんで暮さして頂けるのであります。然るに、私は何年尽したのに何でやいなあ、と不足を言う人もありますが、それは理を消すようなものである。「何程たんのうしていても、一度不足を言えば、それだけ理は消えてしまう」とおっしゃる』

と聞かせていただきます。

 道を通る中には思うような姿をお見せいただく、あるいはいただけないと、その都度一喜一憂することもあるでしょう。しかし私たちを成人させてやりたい、たすけてやりたいとのをやの思召を見失わず、前を向き、こつこつと進めた歩みのその先に充分の理を受け取っていただき、充分のご守護、宝を頂戴できる道があるのだと思います。つまり、成ってくる姿を素直に受け、最後まで通りきることが大切であると思います。

【本席様の手本】

「ひながたの道が出してある。ひながたそばにある。めん/\もたった三日の辛抱すればひながたの道が。以前々々は、我が/\のようにして通りて来たのや。三日の日は越せんという理はあるまい。どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。まあたった三日や。」

教祖ひながたの道を示してある。更にはそのひながたを素直にたどった本席の手本雛形の道が身辺にあるではないか。本席にしても、昔は皆と一緒に「おまえが、おれが」と言った仲で通ってきたのであるが、それが本席となった理をよく思案してくれなければならない。

そうした本席の手本雛形の道が目の前にあるのだから、締めくくりの最後の三日間を通り抜けられないという道理はあるまい。誰でも教祖のひながた通りに通りきったならば、本席の道と同じように受け取ってやろう。最後のわずか三日間を通りきるかどうかのことである。

と教えられます。

本席様については、おさしづに

「丸九年という/\。年々大晦日という。その日の心、一日の日誰も出て来る者も無かった。頼りになる者無かった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりて、よう/\随いて来てくれたと喜んだ日ある。これ放って置かるか、放って置けるか。(明治34・5・25)」

とお聞かせくださいますように、丸9年という長い間、毎年の暮には自分の家のことは捨てておいて、やしきの用事に尽くしてきた。その心というは並大抵の真実ではない。ある時には誰も出てくる者もおらず、頼りになる者もなかった。この9年の間、大工(飯降伊蔵先生)だけがやしきへ運んで一切のことを取りまとめ、ようよう随いて来てくれたと喜んだ日もあった。この尽くした真実を無にできるものかどうか考えてみるがよい。

とおっしゃります。

こうして通られた上での本席であり、その本席様の手本が身近にあるのだから、同じように最後の三日間、すなわち三年千日を通りきれば教祖50年のひながたを通ったのと同様の理に受け取ってくださると、親神様がお約束くださっています。

そしてそのように通った私たちの道が後々の人の手本となり、子供や孫、また道を知らない方々にお道はこうして通るのだよと自信を持って伝えられたらこんなにうれしいことはありませんし、そう努めることが今の私たちの責任でもあると思います。

【たった三日の間や】

「細道は通りよい、往還通り難くい。何を言うと思う。往還通り難くいという理聞き分けたら、三日の間や。なれども、これまで細い道を通り来た故、大き道に成るのやで。三年やそこらの事は、三日の日の事思えば直きや。三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。たったそれだけの事が分からん。そこで皆んな一つ/\の理を寄せてくれるよう。僅か三年の間の事を、長う取るからどんな理も出る。たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった三日の間や」

と、このおさしづは結ばれています。

 往還道は通りにくいということは、おさしづに

「往還道は通りよい、細い道は通り難くい。なれど、細い道は心に掛けて通るから、怪我はせん。大道はけつまずかにゃならん。けつまずくというは、心に油断するから怪我をする。(明治29・10・5)とあります。

この道理を聞き分けて、たった三日の間と仰せられる三年間、その三年千日の期間、細道を通るように心を配り、精一杯の真実をもって通らせていただかなければなりません。

 しかしその道中には、一人では心倒しそうになることもあるでしょう。でも、私たちにはお道の仲間がいます。お互いに声を掛け合い、励まし合い、たすけあいながら、三年千日を通らせていただきましょう。

 心を寄せ合って一手一つに通らせていただければ、「落ちようと思うても落ちられん」と、結構な道を必ずお見せくだされると仰せくだされているのであります。

 そして、「三年千日はそんなに長い期間やない、通れないはずはない、仕切って踏ん張りきれ」と檄を飛ばしてくださると共に、「必ずたすけてやるから、しっかりと頑張りやと温かい声で手で、背中を押してくだされる親心」を強く感じるのであります。またそれだけ私たちにとって大切な重要な期間、旬なのだと思わせていただくのであります。

 そして、年祭活動は年祭を迎えたらゴールというものではなく、その間に学ばせていただいたこと、感じさせていただいたこと、身に付けさせていただいたことを台として、更にまた一歩、をやに喜んでもらえるように成人させていただく道であり、その積み重ねが陽気ぐらしへと続いていくのであります。

【成人の旬に明るく勇んで】

大江大教会でも、年祭活動の方針、及び具体的な目標を定め、そして各部内教会、またつながる一人ひとりが心を定めて年祭活動を進めておられることと思います。大江大教会につながる皆様が、年祭当日、少しでも成人した姿を教祖にご覧いただき、お喜びいただきたいとの思いの元に、共に心定め達成に向けた歩みを進めるところに大きな意味があり、一手一つに通りきることで心定めた以上の宝を頂戴できることになると信じます。 皆様には「たった三日の間や」と仰せいただく、逃してはならないこの成人の旬を、引き続き心明るく心勇んでお通りいただきたく存じます。

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